『地歌舞伎に魅せられて』吉田茂美

東濃の地歌舞伎は役者人口の激減や運営費不足などによる衰退の危機を乗り越え、今、大いに盛り上がりを見せている。そのきっかけをつくった一人ともいえるのが、四代目・中村津多七こと、吉田茂美さんである。

私が地歌舞伎と出会ったのは中学3年生の夏。中津川市にあった旭座という芝居小屋で舞台を観て、とりこになってしまったんです。芝居の魔力とでもいうのでしょうかねえ。導かれるまま3代・中村津多七師匠に弟子入りし、高校2年生の時にはもう役者として舞台に立っていました。しかし当時はどこの保存会も「役者がおらん。運営費が足らん。観客が少ない。行政支援がない」のないない尽くし。地歌舞伎は衰退の一途を辿っていたんです。伝統の灯を消してなるものかと、1964年に15の保存会が集まって東濃歌舞伎保存会を結成しましたが、時代の変化には逆らえず、危急存亡の状態でした。

 流れが変わったのは平成に入ってから。地歌舞伎を後世に伝えていこうという動きが高まり、2000年に平成の芝居小屋として「東美濃ふれあいセンター歌舞伎ホール」がオープン。そこで行われた「東濃の地歌舞伎揃い踏み(ウエルカム21ぎふ)」の成功を機に、3年に1回だった「東濃歌舞伎大会」が毎年開催になり、どんどん盛り上がりを見せていきました。そんな中で、今回の「岐阜の宝もの」の認定。ありがたいですね。追い風に乗って2010年9月には県の「岐阜自慢ジカブキプロジェクト」が発足し、私はそこの事務局長という大役を仰せつかりました。

 東濃における地歌舞伎は「役者が自腹を切ってお客さんに観ていただく」もの。その構図は今も昔も変わりません。師匠から「ヘタ!」だの「間を間違えた」だのって叱られて、大枚はたいて、舞台で恥かいて。なんでそんなことやるんだろう、って思いますでしょ。でも一度舞台に立ってみてくださいよ。役になりきって照明と拍手喝采を浴びる快感は、そうそう味わえるものじゃありません。振付、三味線、衣裳、顔師、大道具、小道具など、大勢の人たちと力を合わせてひとつの作品を形にしていくところも地歌舞伎の醍醐味です。約15日間の練習で初舞台を踏めますから、ご興味のある方はプロジェクト事務局までどんどんご連絡をいただきたいですね(笑)。

20112月発行
『岐阜の宝もの 自然・歴史・人が織りなす、じまんの原石 Vol.2』より抜粋