「地歌舞伎讃歌」織田絋二

『Praise for Jikabuki』by Kouji Orita 

旧知の吉田茂美(四代目中村津多七)さんから東濃の地歌舞伎のブログに何か寄稿をというお話をいただいたが、ほんの蛇足の一言を付け加えて責任を果たしたいと思う。

 あれは平成二年の十月のことだったが、長野県大鹿村で第一回全国地芝居サミット大鹿が開催され記念公演とシンポジウムが行われパネラーとして参加した。大鹿をはじめ、全国の名だたる地芝居の面々が顔を揃えてそれは見ごたえのある立派な舞台を拝見したわけだが、その以前国立劇場公演で播州歌舞伎を上演して担当したことがあって地方の歌舞伎に興味を抱いていたが、ほとんど初めて見た地芝居の多様な魅力に取りつかれることになった。

このサミットを機会に復活した地芝居もあり、競いあう中で多くの情報が共有され手を携える機会ともなって今日まで、こうした会では珍しく着実な成果を上げている。バブル景気は人々の生活に余裕を与え、衰退しきっていた地方の歌舞伎も見直され、観光スポットとして脚光を浴びるようにもなった。各地での存在も広く世に知られるようになってきたが、しかし如何に歴史の古さを誇っても芸能は生き物で、台本や衣裳が残されているだけでは到底継承することはできない。ともかく細々とでも確実に舞台上演が継続していなければどうにもならない。

そこには「たわけ」が必要なわけでことに竹本や演技指導をする「たわけ」が居る所は強い。地歌舞伎の現場にうかがうとよく国立の養成研修システムで竹本を養成してもらえないかという声を聞いたものだった。そんな「たわけ」の代表のお一人が吉田さんだった。


伝承の道のりは並みの苦労ではなかったと思う。新しい劇場の柿落とし公演にもうかがい、平成十八年三月には国立劇場第百三回民俗芸能公演にも出ていただいた。この間には『弓張月』の復活上演の台本作りにも参加させてもらった。

一時ひどく衰退した東美濃地方の地芝居だが、岐阜県中津川市とその近郊には芝居や恵那文楽に代表される多くの地芝居が伝承され競い合う環境に恵まれていた。幸い行政の助けもあり、江戸時代からのこの地方の芸能文化の厚い歴史もあって全国でも稀に見る地芝居文化が今日に脈々と受け継がれてきている。

それでも決して安心はできない。「たわけ」の継承者と役者の後継者がこれからの課題であるのはどこの地域にも共通する。途切れることなく受け継いでいかれるのは大変な努力を必要とする。時代は着実に変化しているが、地芝居を取り巻く環境が良好な方向に変化しているか、といえばそうとばかりは云えない。中央の歌舞伎も大きく変わろうとしているが、これも良い変化ばかりでは必ずしもない。

地芝居の良さは地域との密着をおいて他はない。その地域性を大切に地道に守っていって欲しい。東濃の地歌舞伎と芝居小屋が「岐阜の宝もの」に認定されたという、快挙である。文化を地域の絆に、元気を日本に取り戻す原動力になって欲しいものだ。


織田 紘二(おりた こうじ)

1945年北海道生まれ。1967年 国学院大学日本文学科卒。卒業と同時に特殊法人国立劇場芸能部に入り、以来歌舞伎および新派の制作・演出にたずさわる。1991年ジャパン・フェスティバル英国公演「葉武列土倭錦絵」の脚本・演出を担当。
著書に『松緑芸話』(講談社)『芸と人 ―戦後歌舞伎の名優たち―』(演劇出版社)や『三島由紀夫芝居日記』(中央公論社)の校訂、『歌舞伎入門』(淡交社)の監修等がある。国立劇場顧問。